特別支援学級生徒の体育祭、文化祭の参加

ある中学校の特別支援学級の生徒は、体育祭や文化祭の行事には、交流学級の一員として参加しました。
4月から、基本的に「体育」「音楽」は交流し、クラスの一員として運動競技や合唱練習に取り組んでいます。その延長で、体育祭や文化祭も捉えるので、当然、交流学級の一員として参加なのです。

○体育祭

その中学校では、二学期はじめから、体育祭に向け、校内は一色になります。

昼休みになると、多くの生徒はグランドに出て、大縄や学年種目の練習をしている姿が見られました。
「体育」の授業だけではなく、いろいろな場面で交流していたということもあって、この段階で、支援級の生徒たちも、交流級の生徒たちも、同じクラスの一員であるという意識が強固なものになっていました。

この裏には、常に支援級の生徒たちのことを気にかけてくれる交流学級の担任の先生方の日々の指導があることは言うまでもありません。全職員の一つの方向を向いた指導のおかげで、学校全体が、支援級の生徒がいて当たり前という雰囲気になりつつありました。

昼休みにクラスで大縄や学年種目の練習が行われることがありました。
ある生徒は朝の会できちんとそれを聞いてきて、自ら練習に出かけていきました。介助員さんに相談して、付き添ってもらいながら参加する生徒もいました。いつも迎えに来てくれる交流学級の生徒もいました。それでも、中には、練習に行こうとしない生徒もいましたが、交流学級の担任と相談して、迎えに来てもらったりしながら、行ったり行かなかったりを繰り返す生徒も一部にはいました。

中には運動が苦手な支援級の生徒もいます。そういう生徒にも、きちんと配慮して、一緒にできるように生徒が考えてくれることもありました。「ありがとう」という私の言葉に、当然のことだと返してくれる生徒もいました。支援級の生徒の存在が、交流学級の生徒を成長させている。まさに、「子どもは子どもの中で育つ」のだなと、思いました。

当然ですが、練習中、生徒たちは整列します。支援級の生徒たちは、通常級の生徒たちの列の中に、同じように背の順で並びました。これも、常にいろいろな場面で交流していることから、当然のこととして行われたことです。この時は気づかなかったのですが、他の学校で、支援級の生徒が通常級の生徒の後に並んでいるのを見て、はっとしました。支援級の生徒の受け入れをどう捉えるかという問題なのでしょう。支援級の生徒も列の中に同じように入っていると、そこに区別も、もちろん差別も感じられず、同じように扱われていることが感じ取れます。そのことは、支援級の生徒だけではなく、通常級の生徒も、先生や見ている保護者も感じることです。あの時は当たり前と思っていたのですが、「世の中にとっての当たり前」ではないんですね。支援級の生徒も同じように扱っていこうという、その学校の先生方の気持ちの表れなんだな、と感じました。

当日も、支援級の生徒たちは、交流学級の座席の中に同じような順番で入り、種目に出ないときは一緒に応援をし、種目に出るときは、自分のクラスの代表選手としてがんばっていました。練習からがんばったので、本番では、どの競技も、ほとんど付き添いのない中で、交流級の生徒の中に入って、一緒に活動できました。通常級の生徒たちも、支援級の生徒に声かけしたり、助けてくれたりしてくれました。

支援級の生徒たちが、通常級の生徒たちと一緒に、嬉しそうに活動していました。同年代の子どもたちと同じことをしているのです。充実感もあったのだと思います。

外部の参観者にとっては、どこに支援級の生徒がいるのか分からなかったと思います。
支援級も、通常級も関係ない、生徒全員が作り上げる体育祭であったと思います。

全員の生徒たち、全職員が協力して、いつのまにかインクルーシブな体育祭が作り上げられていたのです。感動的な一日でした。

 

○文化祭

体育祭が終わると、文化祭に向けた合唱練習が本格的になりました。
その中学校では、昼や帰りの時間などを使って、ピアノの使える教室や体育館での練習が行われます。帰りは帰りの会にいつも交流するからいいとしても、昼はその時だけ昼休みがなくなるのだから、拒否感が強くなる傾向にあります。全体がグランドで縄跳びを跳ぶのとは違って、一部のクラスということもあるからか、練習に行かず拒否をする生徒もちらほらでていました。

交流級と連携して生徒に迎えに来てもらったり、何とか支援級の教員や介助員で説得したりと、交流級の練習には参加させる方向で指導しました。
実際、1年目には練習、本番と参加できない生徒が出てしまいました。
2年目も、昼休みや音楽の授業に行きたがらないような生徒もいましたが、少しずつ参加できるよう、支援しました。

学級別合唱は審査され、賞が決められます。
審査基準の中に、支援級の生徒の態度や姿勢は審査対象としないという但し書きが2年目に追加されました。
また、学級全員で取り組む、という内容も追加されたのですが、これは、支援級の生徒も含めてみんなで参加することに意義があるのだという意味を持っていました。

2年目の文化祭。支援級の生徒たちは、ホールのステージに立って、それぞれ交流学級の級友たちと歌うことができました。ステージの上には、通常級も支援級もありませんでした。こちらも、体育祭と同様、インクルーシブな文化祭が作り上げられていました。

 

 

体育祭や文化祭の交流は、正直言って、様々な生徒がいる中、いろいろな問題があります。一概に交流がいいと簡単に言えないように思います。

ただ、この時は、支援級の生徒も、交流学級の生徒も、ともに成長している姿が見られ、意義のあることなんだな、という感想を持ちました。

学校によっては、体育祭に支援級として参加したり、授業交流をほとんどしないで、または直前だけで合唱に参加したりする例もあるようです。それでは、せっかく交流する機会を設けても、十分「学び」や「成長」につながらないのではと思います。交流は、支援級の生徒のためだけでなく、通常の学級の生徒にとっても多く学ぶ点があるのです。そのことをきちんと考えて、取り組んでいく必要があるのではないかと思います。


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