特別支援学級と体育祭

勤務している学校でも、体育祭が行われました。

特別支援学級の生徒たちも、交流学級の一員として、それぞれ頑張ることができました。

今年は、特別支援学級の生徒たちは、通常の学級の生徒たちと同じように種目に参加できるようにしました。

本校では、走る種目とそれ以外の種目、あとは学年種目の三つに最低出場します。特別支援学級の生徒たちも、交流学級の中で話し合いに参加し、他の生徒と同じように学級の代表として、出場種目を決定しました。

事前に交流学級の先生方とは打ち合わせを持ちましたが、話し合いに参加するということも、他の生徒と同じ場で決めるという経験になり、大切だと思います。

 

体育祭への参加は、教科の学習のように認知の力をそんなに要求しません。

知的障害の子でも、容易に参加できるように思います。ひらがなも充分読めない子が、交流学級の中学生と一緒に、にこにこしながら競技をしたり、応援をしている姿を、今回も見ました。

対人関係に課題のある子は、交流学級の中でも他の生徒と関わろうとしない場合もあります。そういう子でも、一緒に競技をしている時に一瞬、嬉しそうな、充実したような、いい表情を今回も垣間見ることができました。

同い年の大きな集団の中で生活することは、特別支援学級の生徒にとって、大切な経験の場になっているのです。「子どもの中で子どもは育つ」ということです。その環境をいかに作っていくかが、特別支援学級担当者のみならず、学校としての責任だと思います。

 

特別支援学級の生徒の座席が交流学級の中に自然にあって、特別支援学級担任や介助員といった大人が近くで見守りますが、必要以上にくっつかない。

そういうことから、生徒同士の関わりが、自然に生まれていきます。

 

種目も、特別支援学級の生徒が、一緒に頑張れるものが設定されていることも大切です。

全員がやらなければならない種目については、支援が必要な生徒も含めて参加できるのか、検討が必要です。

他の生徒と同じように参加することが、特別支援学級の生徒たちの自信につながっていくし、通常の学級の生徒の理解にもつながります。見ている保護者、指導している教員自身の理解も広げます。学校の、そして、地域の、障害者理解につながっていくのです。

他の生徒が出るのに特別支援学級の生徒が出られない種目があったら、そのこと自体問題であるだけでなく、障害者差別を広げる結果につながってしまう恐れすらあるということです。

学校は、そういう意識を持って、このことに取り組む必要があると思います。

往々にして、体育祭では、支援という観点が、抜けていることが多いと思います。勝ち負けばかりにこだわるとそうなるように思います。

 

支援が必要な子どもにレクレーションのルールを合わせる話が、乙武氏の「五体不満足」に出てきます。参考になると思います。

その中で、そのルールは、子どもたちが考えたものだと紹介されていました。

学校は、そういう生徒を育てなければいけないのではないでしょうか。

この種目は、特別支援学級や通常の学級に在籍する様々なニーズを持った生徒を含め、全員の生徒が参加できるのか、そういう視点から生徒会本部や実行委員など、行事の中心になる生徒に考えさせる指導が必要だと思います。

これからの時代は特に。

 

 


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