特別支援学級は、「単独の学級」として動くべきなのか、あくまでも生徒の通常の学級への支援に徹すべきなのか

インクルーシブ教育が、さかんに言われます。

特別支援学級のあり方を、少し考えてみたいと思います。

今回の表題の中に、「単独の学級」という言葉を入れました。

表題を書くときに作ったような概念なので、何を指し示すか、わかりづらいですが、「単独の学級」というのは、学級として機能する一つの学級のことです。もっとわからなくなりましたね。

普通の学級には、生徒がいて、担任がいます。授業をその学級を単位として行います。朝の会や帰りの会が行われ、お昼も学級で食べます。行事には、学級を単位とするものも多いです。

教員の立場で考えれば、基本的には、その学級の生徒の掌握は担任が中心になって、何かあった場合は、担任が中心に対応することになります。(主任や管理職が指導したり、他の分掌をする先生が関わることもありますが)

 

例えば、朝の会や帰りの会を、通常級に交流するとしましょう。

そうすると、特別支援学級の学級の機能である、朝の会や帰りの会を行う、ということが、抜け落ちてしまいます。

朝の会や帰りの会では、担任が様々な話をします。担任の生徒に対する思いが語られる、とても大切な場面です。学級経営の基幹とは、言い過ぎでしょうか。

場合によっては、学級活動も、交流する学級に参加する場合もあるでしょう。

こういった、担任が直に指導する場面である、朝の会、帰りの会、学級活動を交流してしまったのでは、特別支援学級が学級としての機能を果たさなくなってしまうことは、明らかでしょう。

教員側から見ると、これでは困る、ということになり、学校によっては、当たり前のこととして、朝の会、帰りの会、学級活動は特別支援学級でしっかり行っているのではないかと思います。

生徒の立場から見ると、どうなのでしょうか。

中には、交流級の友達との関係を作りたいと願っている生徒や保護者もいるでしょう。また、発達の状況によっては、交流級の活動に参加した方が、よりその生徒によって望ましい教育となると考えられる場合もあるでしょう。

そのような生徒、保護者の思いが強いと、学校側の方針と対立してしまって、トラブルになってしまう場合もあるかもしれません。

 

朝の会、帰りの会、学級活動を交流することで、特別支援学級の生徒も、交流する通常学級の生徒も、ともに同じクラスの一員なんだという意識を育てることができると、考えることもできます。

普段交流していないのに、行事の時だけやってくるのでは、通常学級の生徒にしてみると、特別支援学級の生徒は単なる「お客さん」にしか見えないでしょう。そういうところに、真の「交流」が生まれるのでしょうか。

教員にしてもそうです。普段交流していなければ、その特別支援学級の生徒のことなど十分理解できるわけがありません。その状況で、学級の生徒への指導もままならないかもしれません。

そう考えると、交流した方がいいという結論を導き出すこともできるように思います。

 

 

インクルーシブ教育の時代。

特別支援学級を「単独の学級」として考え、朝の会、帰りの会、学級活動など、学級を基本とする活動は全て特別支援学級で行い、生徒に対して、特別支援学級の担任が全て支援する。

そうすることは、生徒によっては、望ましい教育が行われることとなるでしょう。

一方、朝の会、帰りの会、学級活動を興隆させることは、特別支援学級の生徒や通常の学級の生徒の意識を変えることにもつながり、よりインクルーシブ的な取り組みとなることも考えられます。それが適切である生徒も中にいることでしょう。

 

どちらがいいということは、一概には言えません。

その学校、その生徒の実態によって、違うものであると思います。

我々教員は、片方の考えに固執することなく、目の前の生徒にとって、本当はどちらが適切なのか、十分考え、その上で支援する必要があるのでしょう。


Tags:


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です